「梅雨の間の晴れ間」とまではいかないものの、ときどき日も差す曇り空の中、東御市方面に所用があったついでに、湯の丸高原のレンゲツツジもそろそろ見頃かと思って、足をのばしてみました。迎えてくれたレンゲツツジはちょうど見頃で、その見事さに突き動かされて、すぐに帰るのもなんとなくもったいないような気がしてきて、湯の丸山の頂上まで登ってきました。
湯の丸スキー場の大駐車場に車を止めて、ツツジ平に向かいます。ほとんどの観光客はリフトに乗って上がっていきます。私は、リフト脇のゲレンデを徒歩です。しかし、これが結構きついのです。歩き慣れないせいもあって、ゼイゼイしながらなんとか登り切ります。
ツツジ平では、普通の服装をした観光客や、カメラと三脚を持った写真目的の人で賑わっています。平日でもこれだけの人出ですから、土日はさぞかし人出も多いことだろうと思います。
リフトに乗れば、ハイヒールやサンダル履きでも来られますから、観光地のフラワーパークといった感覚です。
ツツジ平の写真を数枚アップしておきます。写真をクリックしてみてください。拡大します。
正面、左側の山が湯の丸山(南峰)です。右側は北峰。ツツジ平の上部までくると、やっぱり山頂まで登りたくなります。トレッキングシューズを履いてきたので、思い切って登ることにしました。 ツツジ平のレンゲツツジの深紅の模様を真下に見ながら、結構急な登山道を登っていきます。ツツジ平の上部にあった遭難防止の鐘から頂上まで800メートルと案内板にあったので、距離はそれほどありません。でも、坂はかなりきついです。
湯の丸山の南峰の頂上に着きました。標高は、2101メートルとあります。視界が一気に開けました。奥の山は烏帽子岳です。下の写真も。烏帽子岳の頂上は標高2065.6メートルなので、湯の丸山よりやや低いです。それにしても、頂上を吹き渡る風は心地よく、疲れは完全に吹き飛んでしまいました。
南峰の頂上から北峰を望みます。北峰は標高2098.6メートルだそうです。
菅平方面です。中央手前の湖は菅平ダム湖です。奥に白く光っているのは、レタス用のマルチフィルムです。
群馬県嬬恋村方面です。奥の湖は田代湖です。こちらは、マルチフィルムはありません。キャベツ栽培には、マルチを使わないようです。
頂上付近には、コイワカガミが群生しています。四阿山や根子岳では、こんなには群生していませんでした。近くの山でも、山によって植物体系は微妙に違ってくるのだと思います。それにしても湯の丸山山頂付近のコイワカガミは見事でした。レンゲツツジに勝るとも劣らないと感じました。
山頂直下には、ハクサンシャクナゲが群生していました。ほとんどがまだ固いつぼみでしたが、やや下の方に一株だけ満開になっている株がありました。湯の丸高原一帯は、高山植物の宝庫といわれていますが、これらの花を見にくるだけでも、ここにはまた来る価値があると思います。
また、頂上付近からレンゲ平までの間、ウグイスがひっきりなしに鳴いていました。ウグイスのさえずりをずっと聞きながらの登山は、また格別の趣のあるものでした。
2010年6月28日月曜日
2010年6月17日木曜日
2010年6月11日金曜日
四阿山 (日本百名山) に登る
田植えも終わって、農作業の一段落した今日、梅雨前の晴れ間をねらって、四阿山(2354メートル)に登ってきました。
菅平牧場 9:00 ~ 四阿山山頂 11:15
四阿山山頂 11:30 ~ 根子岳山頂 12:35
根子岳山頂 12:45 ~ 菅平牧場 13:45
5時間弱の山登りでしたが、毎日見ていても登ったことがなく、今年こそは登りたいものだと思っていた念願を果たしました。冒頭の写真は、四阿山山頂に建立されている二つの祠です。奥は上州祠、手前が信州祠です。
登山口の菅平牧場管理事務所に着いたら、口蹄疫の予防のために消石灰を撒いていました。牧場内に入る山菜採りは、今年は禁止だそうです。登山者も牧場わきの登山道を通るため、消石灰を踏んで消毒していくように注意されました。下の写真のように、牧場内立ち入り禁止の告示もありました。
「中四阿」経由で登ります。少しゆくと、緑が目に優しい。赤紫のツツジも緑に映えていました。
「中四阿」付近から下を見れば、菅平がよく見えます。高原野菜用のマルチがキラキラ光っています。
また、「中四阿」付近から根子岳を見ると、切り立った爆裂火口壁が正面にグッと迫ってきます。
四阿山頂上の上州祠。群馬県側の標識には「吾妻(四阿)山」とありました。
同じく、信州祠。なぜか上州祠よりすこし低いところにあります。
四阿山の頂上付近の北斜面には雪がまだ残っています。この日はとても暑かったので、気持ちだけでも涼しくなりました。
四阿山と根子岳の中間の鞍部からの根子岳方向の眺めです。一面、笹に覆われていてビロードの絨毯のようです。
鞍部より根子岳にむかう途中で振り返れば、四阿山の北側には残雪の筋が何本も見えました。
根子岳山頂の祠。1月に続いて2度目の参拝です。
根子岳山頂のガラ場。1月は氷雪の世界だったけれど、いまは石がゴロゴロしています。その周りは背の低い笹が一面に生えています。
根子岳からすこし下ったところで振り返れば、あたりは低木と笹の世界です。ダケカンバもまだ芽がでていません。
ダケカンバ林の中に咲くツツジが綺麗です。このツツジはなんという名前でしょうか? 花はミツバツツジにそっくりですが、葉は三枚ではありません。‥‥あ、わかりました。ネットで調べていたら、「ムラサキヤシオ」という名前のツツジだそうです。雄しべが10本あるのが特徴で、よく似たヤマツツジ(雄しべ5本)と区別できるのだそうです。
このあたりまでくだってくると、ダケカンバ(または白樺)も芽吹いています。そして、もうすこし下ると、下の写真のように緑もかなり濃くなってきます。
出発地点の牧場管理事務所まで戻ってきました。牛がのんびりと草を食べていました。口蹄疫がここまで広がらないように祈って、消石灰が撒かれた道を後にしたのでした。この時期の二千メートル級の山は、まさに新緑の世界で、山の上からの遠望はあまり期待できませんが、緑の中を歩くと身も心も洗われます。
最後に、深田久弥の『日本百名山』の一節と、春先に「神川の谷」(つまり自宅付近)から撮った四阿山(右)と根子岳(左)の写真を載せておきたいと思います。 「信越線の上田に近づくと、神川(四阿山から流れ出る川)の谷の奥に、遙かにこの山の望まれる所がある。頂上がやや左に傾いだ屋根型をして、その右端に乳首のような丘が盛りあがっている。いい形である。昔の人はただどんな山でも名山とは呼ばなかった。眺めて美しい、品格のある山でなければならなかった。」(深田久弥著『日本百名山』から)
菅平牧場 9:00 ~ 四阿山山頂 11:15
四阿山山頂 11:30 ~ 根子岳山頂 12:35
根子岳山頂 12:45 ~ 菅平牧場 13:45
5時間弱の山登りでしたが、毎日見ていても登ったことがなく、今年こそは登りたいものだと思っていた念願を果たしました。冒頭の写真は、四阿山山頂に建立されている二つの祠です。奥は上州祠、手前が信州祠です。
登山口の菅平牧場管理事務所に着いたら、口蹄疫の予防のために消石灰を撒いていました。牧場内に入る山菜採りは、今年は禁止だそうです。登山者も牧場わきの登山道を通るため、消石灰を踏んで消毒していくように注意されました。下の写真のように、牧場内立ち入り禁止の告示もありました。
「中四阿」経由で登ります。少しゆくと、緑が目に優しい。赤紫のツツジも緑に映えていました。
「中四阿」付近から下を見れば、菅平がよく見えます。高原野菜用のマルチがキラキラ光っています。
また、「中四阿」付近から根子岳を見ると、切り立った爆裂火口壁が正面にグッと迫ってきます。
四阿山頂上の上州祠。群馬県側の標識には「吾妻(四阿)山」とありました。
同じく、信州祠。なぜか上州祠よりすこし低いところにあります。
四阿山の頂上付近の北斜面には雪がまだ残っています。この日はとても暑かったので、気持ちだけでも涼しくなりました。
四阿山と根子岳の中間の鞍部からの根子岳方向の眺めです。一面、笹に覆われていてビロードの絨毯のようです。
鞍部より根子岳にむかう途中で振り返れば、四阿山の北側には残雪の筋が何本も見えました。
根子岳山頂の祠。1月に続いて2度目の参拝です。
根子岳山頂のガラ場。1月は氷雪の世界だったけれど、いまは石がゴロゴロしています。その周りは背の低い笹が一面に生えています。
根子岳からすこし下ったところで振り返れば、あたりは低木と笹の世界です。ダケカンバもまだ芽がでていません。
ダケカンバ林の中に咲くツツジが綺麗です。このツツジはなんという名前でしょうか? 花はミツバツツジにそっくりですが、葉は三枚ではありません。‥‥あ、わかりました。ネットで調べていたら、「ムラサキヤシオ」という名前のツツジだそうです。雄しべが10本あるのが特徴で、よく似たヤマツツジ(雄しべ5本)と区別できるのだそうです。
このあたりまでくだってくると、ダケカンバ(または白樺)も芽吹いています。そして、もうすこし下ると、下の写真のように緑もかなり濃くなってきます。
出発地点の牧場管理事務所まで戻ってきました。牛がのんびりと草を食べていました。口蹄疫がここまで広がらないように祈って、消石灰が撒かれた道を後にしたのでした。この時期の二千メートル級の山は、まさに新緑の世界で、山の上からの遠望はあまり期待できませんが、緑の中を歩くと身も心も洗われます。
最後に、深田久弥の『日本百名山』の一節と、春先に「神川の谷」(つまり自宅付近)から撮った四阿山(右)と根子岳(左)の写真を載せておきたいと思います。 「信越線の上田に近づくと、神川(四阿山から流れ出る川)の谷の奥に、遙かにこの山の望まれる所がある。頂上がやや左に傾いだ屋根型をして、その右端に乳首のような丘が盛りあがっている。いい形である。昔の人はただどんな山でも名山とは呼ばなかった。眺めて美しい、品格のある山でなければならなかった。」(深田久弥著『日本百名山』から)