2012年7月31日火曜日

アスターを直売所に出す

まだお盆にはかなり早いけれど、畑のアスターがドンドン咲き始めてきました。このまま枯らしてしまうのももったいないので、6束ほど試しに直売所に出してみました。明日は、8月1日のお墓掃除の日であるせいか、午前中の早い時間に全部売れてしまいました。ただ、これは自画自賛になってしまいますが、私の作ったアスターは一株あたりのボリュームが他のものとは比較にならないほどあって、とても見栄えがすることは事実です。
それならばと、今日は20束ほど収穫して、明日出す準備をしました。キュウリ、なす、トマトの出荷だけでもてんてこ舞いなのに、これからお盆までは一体どうなることでしょうか? 少なくとも、畑の中で熱中症と過労で倒れていたなどということがないようにしなければと考えています。

2012年7月28日土曜日

里芋の土寄せと潅水

里芋の間に管理機を入れて作業ができるのも限界に近くなったので、管理機の逆転ロータリーを使って土寄せをしました。植えたときは、里芋は溝の底にあったのですが、土寄せ後は、畝の頂上に出てきています。こうなると、潅水は条間の溝に水を通せば良いので簡単です。
 里芋を作っている畑は、元々は田圃だったところなので、水をかけるのもわけもなく、写真のようにタップリ水をかけて終わりです。真夏の乾燥時に 、こうしてこまめに潅水してやると、秋には立派な里芋が収穫できます。

2012年7月27日金曜日

稲の幼穂 追肥の散布

一月位前には、「今年の稲の生育は遅れている」というようなことが言われていたので、稲の幼穂形成もまだまだだと思っていたら、このところの猛暑で、一気に生育が早まったようです。稲の根の上にある第一関節から上の部分をカミソリで割って、幼穂の形成状況を調べてみたら、すで三センチ前後の幼穂ができていました。「幼穂が1~1.5センチぐらいで穂肥(追肥)を散布」と言われているので、あわてて穂肥をまきました。
 
野菜作りに神経が集中しているので、稲の方はどうしても後回しになってしまいます。田圃の稲も元肥が切れてきて、葉がうす黄緑色になってきました。今日穂肥をまいたので、一気に吸収して青くなってきます。このタイミングで穂が出ると、肥料分が穂に集中して、草丈は伸びないから稲が倒伏しないで穂だけが重くなって豊作になるという理屈です。

2012年7月24日火曜日

すでに咲き出したアスター

盆花用にと栽培したアスターが、一部すでに咲き出しました。タキイの「桃くれない」という品種が一番はやく咲き始め、「白くれない」が咲き出しそうなのがチラホラあります。同じように育てても、バラツキがでてしまうのは仕方ありません。八月一日のお墓掃除の前後に、直売所に出してみようかと考えています。
花作りは初めてですが、我ながらうまくいったと、満足しています。あとは、どのくらいの値段で売れるかが問題です。それが、自分の花作りにたいする客観的評価になるのですから。

2012年7月17日火曜日

八ヶ岳花紀行 ウルップソウとコマクサ

横岳頂上付近に咲いていたウルップソウ

白いコマクサ 一株だけ見かけました

「ウルップソウは終わりに近づいているけれどコマクサはかなり咲いている」という情報を耳にして、一度に両方を見たいと欲張って、八ヶ岳の硫黄岳~横岳へ行ってきました。梅雨のこの時季、標高2800メートル前後の硫黄岳から横岳の稜線は、珍しい花が咲き乱れています。コマクサは登山道の両側に広範囲に咲いていますし、本州では八ヶ岳と白馬岳にしかないと言われているウルップソウもまだ花を咲かせていました。今回は、300ミリのレンズも担いでいったので、荷物も少し重くなりましたが、その分良い写真が撮れたかなと思っています。

 
登山道の両脇にはコマクサがビッシリ

 
 
 横岳山頂付近では ウルップソウはまだ花を付けていました

コマクサの群生地に咲くヤツガタケキスミレ
画面が少しぼやけて見えますが、これはガスのせいです。このときは、下から吹き上がってくる強風とガスで一面真っ白の世界になってしまっていました。気温も寒いぐらいで、下界とは別天地です。

ミヤマダイダイコクソウ(黄色)とミヤマシオガマ(赤色)

ツガザクラ 

 
タカネツメクサ
 
チョウノスケソウ(白色) とオヤマノエンドウ(紫色)
 
行きは夏沢峠から登ります 緑がとても濃くなりました

横岳頂上から佐久方面を見る レタスのマルチが反射しています
横岳から硫黄岳に戻るときガスが晴れました

 
赤岩の頭から硫黄岳頂上を望む 帰りはこちらから下りました

(余談) 硫黄岳から横岳に向かう途中、硫黄岳山荘あたりで、一人の青年と出会いました。横岳の花の状況を聞きたくて、私から声をかけたのですが、彼はなんと一日で観音平から蓼科山まで行くつもりだと言っていました。山梨県の観音平をでて八ヶ岳を縦走して硫黄岳の手前まで来たのが朝の9時前だったので、蓼科山まで行けたかもしれません。世の中にはすごい男がいるものだと驚嘆しました。

2012年7月15日日曜日

里芋の天敵 セスジスズメ

このところ、キュウリや茄子、トマトの収穫と手入れにおわれていて、里芋の方はほったらかしにしておいたところ、セスジスズメの幼虫の食害にかなりのものがあってしまいました。
  今年は、気候のせいもあって、里芋の生長も遅れていて、 セスジスズメの食害によって、丸坊主にされてしまったものもあります。セスジスズメは、なぜか里芋の葉を好んで食べます。これにたいする登録農薬がないので、昨日と今日だけ数十匹を手で捕まえました。大きくて目立つので、捕まえやすいのですが、グロテスクな姿にはうんざりです。

2012年7月12日木曜日

里芋畑の草取りと土寄せ

今年は、里芋は「穴底植」で栽培しているので、マルチはやっておらず、その分草取りの労力が余分にかかります。しかし、マルチは7月の下旬には元々剥いでしまうので、設置して剥ぐ手間と資材費を考えれば、この方がずっとメリットがあります。
草取りは、条間は管理機でできますが、株間はどうしても手作業になってしまいます。 株間の草を取りながら、株の根元に土を寄せていくのですが、植えたときの溝はもうなくなって逆に畝になってきました。しばらくしたら、条間に追肥をして管理機の逆転ロータリーを使って管理機で土を跳ね上げて完了となります。

2012年7月10日火曜日

ニンジンの種まき

ジャガイモの後作に、ニンジンをまく予定で、今日最初の種まきをおこないました。秋から初冬にかけて収穫するニンジンは、この時季に種をまくのが一般的ですが、暑さと乾燥を嫌うため、天候しだいではうまく発芽しない場合があります。去年は、一部まき直しをおこないました。ニンジンは、「発芽してしまえば作り終わったも同然」という言葉もあるとおり、発芽が最大の関門です。
 写真のように、19ミリぐらいのパイプを床に押しつけてまき溝を作ります。種は、「ベータリッチ」のペレットで、間引きを省略するために、 溝に5センチ前後の間隔でまいていきます。種が隠れる程度に土をかけて押さえつけます。「ベータリッチ」は、条間20センチ、株間5センチと説明書きにあるので、この要領で、一畝に三条まきをおこないました。
 さらに、去年の教訓に基づいて、乾燥防止のために籾殻をかけ、十分潅水しておきます。これで、うまくいくと思いますが、発芽したらまた報告します。
今年は、 「ベータリッチ」一万粒、「ひとみ五寸」1dlをまく予定ですが、この二種は「吸い込み」がいいので土寄せする必要がなく、食味も外観もいいので、気に入っています。

2012年7月7日土曜日

夏野菜も最盛期に突入

7月になって、いよいよ夏野菜の収穫も最盛期を迎えつつあります。6月の下旬から露地栽培のキュウリがとれだし、7月に入ってからキャベツもとれるようになりました。昨日、茄子を栽培している畑に行ってみたら、もう収穫できる大きさになった茄子がビッシリなっていました。茄子は、明日から直売所に出す予定です。
 トマトも、赤く色づき始めたものが、少しづつ増えてきており、 収穫できるようになるのも間近となってきました。これらの野菜を朝に収穫して、直売所に出すのに、いまは5時半に起きていますが、これからは5時前に起きなければ間に合わなくなります。早起きはあまり得意ではないのですが、自分を律するためにも、頑張って起きようと思っています。

2012年7月5日木曜日

アスター 「くれない」 vs 「松本」

アスターには、「くれない」系とか「松本」系といった種類のものがあるそうです。種屋の在庫の関係から、今年は白とピンクは「くれない」系、紫は「松本」系の種を播きました。ネットなどで調べてみると、「松本」系は比較的連作に強いとありました。
実際につくってみると、「松本」系は斑点病にかかりやすいような気がします。同じ圃場でも、紫のアスターは、斑点病にかかっている率がとても多いのです。斑点病対策として、ダコニールを散布してみましたが、今後の生育状況を注意深く見守っていきたいと考えています。 (左の写真は、斑点病にかかった葉)

2012年7月4日水曜日

水稲に 『ケイ酸カリ』 を散布

水稲の生育には、ケイ酸とかカリが重要な役割を果たします。それらを十分与えれば生育には良いとわかっていても、この肥料はかなり高価なので、いままでは使ってきませんでした。
ところが、「カリはセシュウムが稲に吸収されるのを防ぐ 」ということが報道されたのを機に、このあたりでは福島第一原発の放射能の影響は皆無と言うことなのですが、それでも念には念を入れてと思って、今年は使ってみることにしました。
最大の目的は倒伏防止と食味の向上なのですが、「放射能から稲を守る」ということが最後の決め手となったわけです。