2010年11月20日土曜日

中国・雲南の旅 (6) 印象最深刻的事

       昆明から上海浦東空港へ乗ってきた中国東方航空便

 最終日は、昆明を朝早く発って、上海で乗り換えて成田に帰ります。どちらも中国東方航空便で、今度は気流のかげんもあって、成田へ向かう便の方が時間がかからず、上海から成田までは2時間少しで着いてしまいました。

 昆明から上海へ向かう飛行機の中でのこと、C先生が私の隣にすわっている中国人になにやら話しかけているのです。私の頭越しに話をしているので、中国語での会話がいやおうなしに耳に入ってきます。
 「あなたの隣の男性は日本人で、中国語が話せるから、上海までは時間があるので、是非彼と話してやってください。彼の勉強になりますから。」
 「む、む、む。後は帰るだけだと思っていたのに、もうひと汗かかなければならないとは‥。」
 でも、先生がつくってくださったせっかくのチャンスです。無にはできません。と、いうわけで上海までの帰りの飛行機は、私にとって中国語教室になってしまいました。
 「上海語が話せますか?」
 「話せません。あなたは、上海人ですか?」
 「そうです。」
 こんなやりとりの後、彼が上海人で、文化大革命で雲南に下放になって、仕事も定年になり下放から40年以上もたった今日はじめて上海に帰ることができたこと、飛行機に乗るのもこれが初めてだ、といったことを話してくれました。もとより、私の中国語のレベルでは、中国人と文化大革命のことをいろいろと論じ合うことはできません。ずっと聞き役に回っていただけですが、文化大革命で苦労したこと、牛の世話をしていて牛に米を食われてしまって農民にでかく怒られたことなどをいろいろ聞くことができました。
 そして、彼は最後にこうつぶやきました。
 「文化大革命錯了」 (文化大革命は誤りを犯した。)
 文化大革命については、私もいろいろ本で読んだりして多少の知識はあります。でも生の声を聞くのは初めてです。下放になって、現地の人と結婚した場合は故郷に帰ることが許されず(このことは後でC先生から聞きました)、いまそうした規制も緩められてきて、定年後の今頃になってはじめて故郷・上海の土を踏むことができるようになったらしいのです。そしてそうした苦難の人生を背負った人の生の声を聞くことができ感無量でした。
 飛行機が上海浦東空港に着陸した時、彼と彼の奥さんと私の三人で顔を見合わせて、思わず「到了(ダオラ)」(着いた)と叫んで喜び合いました。その時は、飛行機に初めて乗った夫婦がホットしてそう叫んだぐらいに考えていたのですが、実は彼にとっては40年の空白を埋める一歩を踏み出した「到了」ではなかっただろうかと思うようになりました。
 雲南への下放とその後の40年あまりの人生は、彼にとって避けることのできないまさに「没办法(メイバンファ)」(どうすることもできない)なことであったかもしれませんが、上海の土を踏んだことを第一歩として今後少しでもより幸せな人生をおくられることを願わずにはいられません。

 この飛行機の中での出来事が、私にとって今回の中国・雲南の旅のなかで「印象最深刻的事(もっとも印象に残ったこと)」となりました。