畑に隣接している竹藪は、このところまったく手入れがされていなくて、畑の方まで覆い被さってきていました。藪の所有者も、高齢化したりして手入れをすることができません。そこで、所有者の了解をとって、自分で手入れをすることにしました。このあたりはマムシが生息しているので、冬以外は、藪のなかにはいることができません。氷がはるようになったのを待って、十日ほどかけて竹や杉の木を伐採しました。慣れない仕事で、しかも木の伐採は危険が伴うので、かなり疲れました。
畑に最後まで残っていた野沢菜の収穫もおわったので、稲藁を切って畑に鋤き込むことにしました。去年までは、ただそのままトラクターでおこして終わりだったのですが、今年は有機物腐植促進剤「バイオフミン」を撒いてみることにしました。
そこで、石灰窒素などの窒素肥料を補給するか、腐植促進剤を撒くかのどちらかがその対策になるということなので、今回はコストの安い腐植促進剤を撒く方を選んでみた訳です。もとより、完熟堆肥をつくってそれを撒けば一番いいのですが、そんな手間暇はかけていられません。

来年度は、野菜栽培にもう少し本腰をいれようと思って、水田2枚を畑にすることにしました。そのために、稲藁を大量に投入したり、堆肥を入れて土作りをおこなっています。
ヒヨドリに食べられたリンゴ
ヒヨドリはホバリングできるし、頭もよく学習能力もあるらしく、完璧に防ぐのは至難の業らしいです。数個を集中的に食べて、他には手を着けなければまだ許されるのですが、ちょっとずつついばんでかなりの数をダメにするので、本当に許し難いです。
今年の里芋の収穫は全部終わりました。夏にマルチをはいで、追肥と土寄せをおこなったので、例年よりさらによい芋をとることができました。
野菜を育てるにも、日常の観察と分析がきわめて重要であること痛感しています。
昆明から上海浦東空港へ乗ってきた中国東方航空便
世界文化遺産の麗江古城の街並み
前夜に観た少数民族の歌と踊りのショーです。雲南省には多くの少数民族がおり、麗江は納西(ナシ)族が多く住んでいるとのことです。ちなみにこのショーの入場料は日本円で3500円で、とても高かったです。物価が安いから、とくにそう感じました。
納西(ナシ)族は、生きた象形文字(トンバ文字)を持っていることで有名です。また、納西(ナシ)族の支族の摩梭人には走婚(通い婚)の習慣があって、そうした民俗学的意味でも興味深い地域です。博物館へ見学に行きました。
博物館では、「東巴(トンバ)先生」がトンバ文字を書いて見せていました。もう、この文字を使える人は極めて少なくなっているとのことでした。
「東巴(トンバ)先生」が書いたトンバ文字を売っていたので、買ってきました。紙は、沈丁花の木を漉いたもので虫が着かず、極めて長い間もつそうです。文字の内容は「天天開心」、つまり「毎日愉快だ」ということのようです。
いよいよ麗江古城に向かいます。中国語で城は街の意味ですから、古城といっても日本でいうお城ではありません。広場では納西(ナシ)族の女性が踊りを踊っていました。すごい人出です。麗江には一日二万人の観光客が訪れて、そのうちの八割は中国人だそうです。雲南は、中国人にとってもあこがれの地であるようです。
古城のなかにある宿の入り口です。漢字の下にトンバ文字が書かれています。
麗江古城の街中の写真を以下載せておきます。



観光客がとても多く、ごった返していました。街中は水路がはりめぐらされ、柳の青さが柔らかく、街中の喧騒を静めてくれているような感じがしました。
夕方、玉龍雪山がうっすらと見えました。これで麗江の街ともお別れです。
麗江空港のカウンターです。この空港ビルは今までのものが手狭になってきたので、新しくなったばかりだといっていました。昆明まで空路4,50分。麗江や香格里拉(シャングリラ)はとても人気があるので、訪れる人はどんどん増えてくるでしょう。
世界自然遺産・三江併流の哈巴雪山地域にある虎跳峡
バスの中からの金沙江の眺め。ゆったりと流れていきます。
金沙江がよく見えるところで、バスが停まってくれました。両側から山が迫ってきていますが、道の沿線には、農村が点在しています。
沿線の農村風景です。どんな山奥にいっても、携帯電話の中継基地があります。塔には、「中国移動」とか「中国聯通」といった看板がかかっているので、遠くからでもよく見えます。「中国移動」が圧倒的に多かったです。
虎跳峡が近づくと、哈巴雪山が見えてきました。標高5396メートルだそうです。
川の反対側には、玉龍雪山がすこし顔を出しています。玉龍雪山の最高峰は、標高5596メートルで、麗江の北側に位置する名峰です。
虎跳峡の虎跳石があるあたりまで遊歩道がつくられていて、バスをおりて歩いて向かいます。駐車場には、たくさんの売店がでています。ほとんどが果物などの地元でとれた食べ物を売っています。
こんなところにも、携帯電話の基地がありました。(写真の上部に半分ほど写っています。) 観光客はほとんどが中国人のようでしたが、多くが携帯電話とデジカメをもっていて、沿岸部の富裕層が中心なのだろうと思いました。
激流のなかの大きな石が虎跳石です。虎がこの石を踏み台にして川を渡ったという言い伝えからこの名前がついたそうです。
岩を砕いて作った遊歩道です。よくこんなものを作ったものだと感心しました。
「落石注意」の立て札です。「落石注意。壁側によって速やかに通ってください」とあります。「急いで通ることが安全対策になるのかなあ」と首を捻ってしまいました。これが中国的発想なのかも知れません。
大理古城のなかで散策する観光客
大理で泊まった亜星大飯店のロビーのなかに掲げられていた巨大絵。ペー族(白族)の踊りが描かれています。
大理の西側にある蒼山。標高4千メートル以上あるそうです。3日目は、この蒼山の中腹にある古刹・中和寺から始まります。
リフトに乗って約25分かかるので、かなりの距離があります。歩けば2時間かかるそうです。ここは、気候が温暖なので、樹木も青々しています。
道教の寺院の中和寺です。一人ひとりに、お参りするように線香をわたしてくれていました。
ここからは、大理市内と洱海が展望できますが、この日は霞んでいてかすかに見えるだけでした。
中和寺の境内でお土産を売っていた女性が、手編みのスリッパを編んで売っていました。30元だそうです。とても綺麗です。
市内に戻って、大理古城の観光です。城壁のうえには、堂々たる城門がそびえています。
城門の前で、ペー族の民族衣装を着た若い女性が観光客に、一緒に写真を撮らないかと営業をしています。観光客と一緒に写真におさまるモデルが彼女たちの仕事のようです。
古城内は、観光客相手の店が軒を連ねています。ニセモノが多いから注意するようにと、ガイドが念を押していました。大理は銀の産地で、銀製品の店がとても多かったです。
裏路地を少し奥に入ると、地元の人の市場がありました。この辺りは、土地も肥えていて野菜類が豊富で、また洱海でとれる魚介類も豊かで、市場はとても賑わっていました。
こちらは、ペー族の装飾品を売っている店です。売り子もペー族の民族衣装を着ています。
「茶葉古道」の拠点となっていた喜州の富豪の家では、ペー族の民族衣装や踊りのショウがあって、50元払って参観しました。
周城は藍染の産地として有名だそうで、ここにも立ち寄りました。
バスの中からの大理の農村の眺めです。雲南省は、鉄分の多い痩せた赤土が多いのですが、大理は肥えた黒土で、蒼山と洱海のあいだの広大な土地では、農業が盛んだそうです。青々した作物はニンニクだそうで、日本にも輸出しているとのことでした。
大理観光を終え、麗江にむかいます。大理と麗江のあいだは約170キロだそうで、バスで約2時間の距離です。上は、途中トイレ休憩のために停まった給油所で撮った写真です。発動機で動くトラックです。いま、中国では軽油が品不足だそうで、給油所の前にはトラックの長い列ができていました。しかし、1リットル8元ぐらいの少し高い軽油を入れようと思えば、このように並ばなくてもすぐ入るのだそうです。
こちらは、オート三輪のトラックです。オート三輪や発動機のトラックは、かなりたくさん見かけました。